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武蔵野競技場線 |
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武蔵野中央公園から南にむかってグリーンパーク遊歩道という小道があります。
道幅といいコースといい不思議な感じがしていたのですが、最近になって”武蔵野競技場線”
という鉄道の跡地である事を知りました。散歩をしながら往時をしのんでみようと思います。
武蔵野競技場線が営業をしていたのは1951年(昭和26年)一年だけのようです。 中央線の三鷹と武蔵野競技場前駅を結ぶ単線で他に駅はありません。もともと戦前・戦中に 中島飛行機武蔵製作所への引き込み線としてあったものを利用したものであったようです。 この昭和26年という年にはマッカーサーが解任をされたり、プロ野球のオールスター戦の 第一回が開催されたりしています。 |
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では何故ここに鉄道が、、、と言う事なのですが、
中島飛行機の跡地利用としてその前の年からグリンパークという野球場の建設が進められて
いました。当時はまだ進駐軍によって神宮球場が接収されていたころですが、大学野球や
プロ野球での使用を想定した本格的な球場であったようで収容人数も5万人以上という
ことです。そのグリンパーク(正式名称は東京スタジアムだったようです。)への足として
鉄道が建設されました。通勤・通学線ではないので試合開催時のみ東京からの直通運転が
されたようです。車両は当時中央線を走っていた63形が使用されたと思われます。
開業日は4月14日、この日は六大学の試合があったようですが、私はまだ試合記録までは たどりついていません。プロ野球の試合は5月5日になります。スワローズ対ドラゴンズ、 ジャイアンツ対ドラゴンズの2試合が行われたようです。この日の二試合を含め同年の 8月までに16試合が行われましたが、観客動員が振るわず以降開催のないまま閉鎖され ました。武蔵野競技場線も休止を経て1959年(昭和34年)10月31日に廃止 されています。 |
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1.武蔵野競技場前駅付近 球場は1958年(昭和33年、長島茂雄が巨人に入団した年です。)に公団緑町団地 (現武蔵野緑町パークタウン)として生まれ変わります。”緑町”という名前は今もこの 付近一帯を指しますが球場名のグリンパークが1953年(昭和28年)に完成した 米軍宿舎にグリーンパークとして受け継がれその後も使用され続けているのだと思います。 写真の1はちょうど駅前にあたるところから始まるグリーンパーク商店街です。今も にぎわっています。駅があったところはJRの社宅になっています。(写真2、なるほど!) ここも近々再開発されるようなので痕跡がまたみつかりにくくなるかもしれません。 2.武蔵野中央公園付近 線路は今の武蔵野中央公園のあたりで左に大きくカーブします。武蔵野中央公園は グリーンパーク米軍宿舎が1973年(昭和48年)に返還されたのを受け地元住民の 要望などに配慮して1989年(平成元年)に原っぱ公園として正式にオープンしました。 写真3のような畑もまだ随分と残っています。 |
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3.グリーンパーク遊歩道 武蔵野中央公園からグリーンパーク遊歩道に入ります。(写真4)1978年に市民に 開放され1983年に完成しました。跡地を道路とするか公園とするかで隣接土地の 接道条件が変わるためかなり議論があったようです。遊歩道沿いにも所々農地をみかけます。 (写真5)周辺地を含めて整備した関前公園もあります。(写真6) 4.玉川上水を渡って堀合遊歩道へ 玉川上水にかかっていた橋はもうありません。(写真7)迂回して(写真8)向こう岸 は三鷹市になり遊歩道も堀合遊歩道(写真9)と名前を変えます。このあたりまでくると 中央線の音も聞こえ始め廃線跡を歩いているという感じが高まってきます。(写真10) 遊歩道の終点は堀合児童公園です。(写真11、12) 5.分岐点付近から三鷹駅へ 分岐点と思われるあたりはなるほど分岐しそうな雰囲気です。(写真13)近くの跨線橋 からは三鷹電車区(写真14)を眺める事ができます。なかなか壮観です。ここからは線路 沿いの道を三鷹駅(写真15)に向かいます。三鷹駅で先ほど渡った玉川上水と合流します。 (写真16)初めて気がついたのですが玉川上水は三鷹駅の真下を通っており、水が駅の下 に吸い込まれていきます。(写真17) |