title

姫路市営モノレール

NMINATOトップにもどる
Hiko's Hometownにもどる
武蔵野競技場線にもどる

姫路には以前駅前から手柄山に向かってモノレールが走っていました。残念ながら 不採算である、勾配やカーブが急で保守が大変である、ロッキード式という 世界でも姫路と小田急向ヶ丘遊園でしか実用化されていない形式でやはり保守が大変である、、 というような理由のため短期間で廃止されてしまいました。
(開業1966年5月17日、1974年4月11日休止、1979年1月26日廃止)

私は1、2回乗ったことがありますが銀色に輝く車両、ちょっと外国っぽいシートと抜群の 眺望で、子供心に未来を感じました。もともとの構想は山陽本線で分断されている姫路の 南北を直結し北の住宅地と南の播磨工業地帯を結ぶというものでした。山陰まで伸ばすという ような話も聞いたことがあるような気がします。現実的には第一期として1964年の姫路城修築完了を受けた 市制20周年記念行事である1966年の姫路大博覧会の手柄山会場への足として単線で 姫路-大将軍-手柄山という約1.6キロでの開業でした。手柄山はいいところですがここまででは 通勤に使用されるはずもなく、実用的には"?"ではありました。翌1967年の市長選でモノレール に否定的な吉田市長が石見市長を破って当選した段階で休止・廃止は規定路線であったのかも しれません。確か姫路から手柄を経由して走っていた山陽電鉄に比べると料金がかなり割高で 大人たちは”あんなもん誰が乗るんや”と話していたと思います。

ちなみに姫路の南北分断は現在も続いていて、吉田市長の掲げた姫路駅の高架計画もまだ実現 にはいたっていません。(写真1)工事の様子を帰郷のたびに見ていますが、最近ようやくいよいよという感じになってきました。(写真2)

ところで、姫路大博覧会で覚えているのは、自衛隊の戦車です。主会場である姫路城の前の 公園と手柄山で戦車に乗ることができました。猛スピードでキャタピラの跡を残しながら走る 戦車はとても強烈なイメージとして脳裏に焼き付いています。


MAP 記憶と今回(2002年3月3日)歩いた感じをたよりに概略図をつくってみました。手柄山の近くはかなり怪しいです。


1.姫路駅から大将軍駅まで
写真3が駅のあったあたりだと思います。記憶ではちゃんとした駅舎ではなく階段とホームが あっただけだったように思います。もともとほとんど空き地がないのでビルを建てるには無理が あったのかもしれません。写真4が現存するレールの先端になります。当時から建物の上にレール が乗っかっていたのかどうかは記憶にありません。(写真5)レールは山陽電鉄の真上をまたぐ形でしたが 今はその部分は撤去されています。(写真6、写真7は山陽電鉄側から) レール沿いの道は昭和40年代を感じさせます。(写真8)レールはもとの大将軍駅に吸い込まれ ていきます。(写真9)今はビジネスホテルと住宅として利用されています。(写真10)

2.大将軍駅から手柄山駅まで
大将軍駅の反対側(将軍橋側)でレールは一旦とぎれます。(写真11)姫路の南北問題を 今も現役でつないでいるのが将軍橋です。(参考までに東側でつないでいるのが朝日橋です。) この橋も間もなく現役を退くことになるでしょう。さて橋をはさんで反対側から船場川沿いにもう少しレールが残っています。(写真12)もともとの構想では船場川を北にもいくはずだったんですが、はたしてどうやって分岐するつもりだったのでしょうか?大将軍ビルには北側にはレールがもう一本ははいりそうにないですし、、、船場川の対岸には山陽色素の古風な工場があります。(写真13)その先で新幹線の下をくぐり、さらに山陽本線、姫新線をまたぐという、鉄道ファン垂涎の光景がくりひろげられていた事になります。(写真14)さきほどの山陽電鉄との交差を含めると一体何本の線路と交差しているのか数え切れません。さらに船場川沿いに進むと(写真15)山陽中学の直前でレールが途切れます。(写真16)数年前までは手柄駅まで残っていたような気がしたので、今も地道に撤去作業が続いているという事なのでしょう。モニュメント(あるいは墓標)としてはこの光景がハイライトと言えそうです。
記憶では文化センターの横を抜けて一気に水族館脇の手柄駅(写真17)に駆け上ります。この壁面には大きく”モノレールのりば”と書いてあったと思います。今回はこの建物の中の駅のコンコースにあたるところでで盆栽展をやっていました。その下のホームにいたる階段はみつけられませんでした。(写真18)が駅付近からの眺望です。(a:残存するレールの先端、b:大将軍駅、c:姫路駅周辺、d:遠くに姫路城)

3.手柄山
今は手柄山中央公園といいます。物心ついたころからここには野球場や陸上競技場やスケートリンクがありました。姫路博のときには、モノレールと一緒にお城のような変わった建物が建てられました。(写真19)それ以前には全国の空襲で亡くなった方々の慰霊塔が立てられたようです。まだまだ戦後だった、、、ということです。(写真20)駅の裏側はこんな感じです。(写真21)少し前まではここが塞がれていなくて(写真22)中の車両を覗き見することができました。噂ではまだ車両は内部にあり、掃除もされていて、広告なども当時のままだとか、、、一度見学してみたいものです。

山頂には1946年から戦後の姫路を20年間引っ張った石見市長の銅像があります。モノレールは石見市長の最後の仕事と言えるでしょう。モノレール問題で岩見市長と市長選を争い勝利した吉田市長がこの銅像の発起人になっているところが、また興味深いです。(写真23)

4.当時のビデオ
最近「蘇る淡路交通と播磨の鉄道」(ABCアーカイブ・朝日放送)を購入しました。当時のモノレール姫路から手柄山までが、きれいなカラー映像で収録されています。朝日放送にダイジェスト版でこのページに掲載できないか問い合わせていましたがお断りのメールをいただきました。インターネットでも販売されているので購入してお楽しみください。姫路モノレール以外にもいろいろ収録されています。


NMINATOトップにもどる Hiko's Hometownにもどる 武蔵野競技場線にもどる