|
西久保八幡神社 |
|
源頼信が、西暦1000年頃石清水八幡宮を霞ヶ関のあたりに勧請したといわれています。太田道灌が江戸城を築いた時、現在地に遷されました。 この西久保という地名は三鷹駅の北(武蔵野市)にもみられますがもともと 慶安3年(1650年)の火事により、このあたりの西久保城山町が焼失し、 復興の過程で農地が減少したため、住民が奉行所に願い出て武蔵野を開墾し 地名を西窪としたのが始まりということです。 |
| ■鳥居から本殿へ |
|
飯倉の交差点のすぐ近くに西久保八幡神社はあります。昭和四十年に道路の拡幅によって今の場所に落ち着いたそうです。 |
|
|
|
|
|
| ■本殿のまわりには |
|
戦災により消失し、終戦当日は焼野原に建つトタン葺の仮社殿だったそうです。
|
|
|
|
|
|